プロフィール【運営者はどんな人?】


はじめまして!
当ブログを運営しているshoichiです!

自身がどんな人生を歩んできたのかを、ざっくりとですが紹介させてください。


基本プロフィール【運営者はどんな人?】

・名前 : shoichi
・生息地 : 三重県
・年齢 : 30代
・仕事 : ミュージシャン(実演、講師業、作詞作曲) / せどり(カメラや楽器類) / レコーディングエンジニア / ブロガー / ライター / 自己コンテンツ販売
・家族 : 嫁と息子の3人暮らし


現在は自分の持っているスキルを活用しながら様々な仕事をし、フリーランスとして生きています。


誰にもこの命は渡さない

上記の軸を持ち、自分自身で稼ぎつつ好きなことをやれるライフスタイルを構築するため、日々行動を重ねている最中です。



夢はリモートワークしつつ年中ライブツアーを組み、家族と共に旅をする事です。


 

三重県に住んでいます


三重県は高校卒業までの暮らしていた僕の故郷です。


高校卒業後、当時組んでいたバンド仲間と彼女(現在の嫁)と共に上京。
14年の東京暮らしを経て、再び三重に帰ってきた形です。

□三重県に帰った理由□

・子供が生まれて、子供を田舎で育てたかった。

・両親のそばに居たいと思った。

・そもそも東京に出た理由が、レコード会社や音楽事務所との繋がりを求めた部分が大きかった。最終的にはその繋がりも無くなり、東京にいる意味が見出せなくなったため。


嫁とは高校2年生からの付き合い。
同じ地元で、自分たちを育ててくれた空気感や暮らす人たちの「人となり」を感じながら、息子も元気に育ってほしいと思っています。

嫁の実家から徒歩5分のところに一戸建てを購入。

周りには嫁の友達もたくさんいて、子育ての環境としてはバッチリです。


市街地を少し離れると山川海が広がり、自然の遊び場も豊富。
三重県最高です。



どんな人生を歩んできたのか。

【幼少期〜小中時代】ギターを手にして夢に溢れていた。

【小学2年生までは大阪住み】


故郷は三重県といいつつ、厳密には生まれてから小学2年生までは大阪に住んでいました。

母親が好きすぎて離れたくなく、幼稚園では終日大泣きしながら過ごす子供でした。
ママチャリの後ろに乗って、幼稚園へ送り迎えしてもらう光景がまだ記憶にあります。

小学校に上がるとコミュニティの中にうまく馴染めず、学校に行くのが嫌でした。
当時は毎朝ポンキッキーズがやっていたのですが、エンディングの沖縄民謡が流れ出すと気分が鬱屈していました。


母親はそんな僕の手を引いて、学校までついて来てくれていました。
覚えてるもんです。


少し話が逸れますが、27歳の時に[幼少期の頃の思い出]を歌にして母親にプレゼントしました。

タイトル : 夢を見ていた 奇跡が起こっていた

この曲を、母親と2人きりで聞けるという狂った人間が僕です。
どうぞよろしく。


【小学3年生の時三重に引っ越しました】


親の仕事の関係で三重に引っ越したのが小学3年生に上がる時。


大阪の空気感とは打って変わって、友達も先生も優しくてすぐに馴染めました
性格もめちゃくちゃに明るくなり、サッカー少年団に入り活発な男の子に変貌。

小学5年生の時に友達の家で聞かせてもらったミスチルの「名もなき詩」で人生が変わりました。衝撃だった。

近所のおじさんにギターをもらい、将来の夢はミュージシャン。
チューニングもせず、音程の狂ったギターを毎日かき鳴らしていました。
そして、母親に怒られていました。笑


【中学生からはギターを習い始めメキメキ上達】


たぶん中学生の頃の方が、今より上手です。笑
反復して学習する事が好きだったので、勉強もギターも伸びが早かったです。

ちなみに成績も良く、高校はどこへでも推薦で入れる状態でした。
34歳の今、その頃の自分を見習って毎日ライティングと曲作りの反復練習中です。


【高校時代】勉強もせず駅前でストリートライブしまくる、生徒指導必須の高校生でした。


とにかく音楽に時間を使いたかったので、家から一番近い商業高校(8割女子生徒)に進学しました。


□当時の生活ルーティン□

・2個上のバンドマンの先輩と仲良くなり、休み時間は非常階段で飲◯&喫◯。

・学校が終わったら、地元の駅前商店街で先輩に混じってストリートライブ(新曲作りまくって真剣でした。当時の僕のアイデンティティでした。)

・日付が変わるころ制服のまま居酒屋へ。(時代。笑)

・母親に気づかれぬよう部屋に戻り、次の日もちゃんと学校へ。(たまに昼出勤。)


上記だけを見るとクズな高校生活に思えるかもですが、この中で目上に対しての礼儀音楽の事たくさん学んでいきました

非凡な高校生活でした。


母親には凄く心配をかけたけど、今では笑い話です。


【卒業式でゲリラライブ】


卒業式当日。

早めに学校に行った僕は、設営の終わった体育館に忍び込んで、アコースティックギターをステージ袖に隠していました。

ひんやりした体育館。まだ覚えています。


そして卒業式の卒業生退場時、「ちょっと待てー!」と声を上げて卒業生みんなで壇上に上がり長渕剛の「乾杯」を歌うという暴挙に出ました。笑

卒業式1週間前から同級生に「みんなで歌おう!」と頼み込んで協力してもらい、実現しました。(嫌々な子もいたと思う。ありがとうね。)



式が終わった後、いったん生徒指導室で怒られつつ教室に戻ったら、担任が良い卒業式だったと泣いてくれました。
嬉しかった。


【上京し本格的にバンド活動開始】苦労しつつも順調な20代前半


高校卒業後、当時組んでいたバンドで上京をしました。

僕(ギターボーカル)とメンバー(ドラム)と音楽の専門学校に入学。
そして、東京でのライブ活動を始めます。


ライブハウスに出向き、ブッキングを取りつけて月3本〜4本のペースでライブ活動をしていました。

自分たちでお金をかき集めて、レコーディングしてCDを作って。
とにかく初めの2年間は必死にライブをこなしてました。

1回のライブにつき2,000円×20枚のチケットノルマがあったので、お金が本当に無かった。


当時はネットも普及していなかったので、レコード会社や音楽事務所の人達はよくライブハウスに出向いていました。

そんな中で、僕達もソニーの新人開発部の人と仲良くなり、一緒に行動するようになりました。


週3で会社のスタジオに篭り、ひたすら曲作りとデモテープ作り。

レンタカーを借りて地方にツアーするようになったのもこの頃。
気がつけば、23歳になっていました。

【ソニーからCDを発売】現実は惨敗


のちに、ソニー傘下の事務所に所属。
タワレコと提携してCDを発売しました。

結果は惨敗。
全然売れず、当時のマネージャーは会議で「このバンドやる意味あんの?」と言われる始末。

この頃から、僕は腐り始めます。
軽く鬱でした。

そしてあんまり記憶がないんです。
簡単に「死にたいなぁ。」なんて思えていた事だけ覚えてます。



そんな中でも、必死に曲作りして、ライブして、でもやっぱり結果が出なくて。

2011年に解散しました。
当時26歳。



【バンド活動第2期】ミュージシャンとしての今の自分を形成


解散してもう音楽はやめてしまおうと思っていましたが、バンドメンバーから提案がありました。

「バンド名を変えて、曲も一新してやり直してみたい。曲は俺が書く。」

それまでは僕が作詞作曲をしていたのですが、ドラムを担当していたメンバーが曲をストックしていて、それでもう一度勝負したいといった提案でした。


僕も承諾し、1年間の曲作り期間を経て再始動しました。



【このバンドで多くの事を学びました


自分以外の人が書いた曲を、持ち曲として歌うのは初めての経験でした。

自分では到底思いつかないメロディーや歌詞。
それに伴って思いつく表現方法のバリエーション。


今まで体験したことがないものに触れて、大きく成長できました。


こんな歌詞の書き方があるんだ。
こんなメロディーの作り方があるんだ。

でもここはもっとこうした方がカッコいいなぁ。

そんな中から学んだ事を反映させて、今までとは違った切り口で曲を書けるようになりました。

このバンドでの活動に凄く感謝しています。


しかし、2014年に解散させてしまいます。

理由は僕が結婚をしたかったから
高校2年の時から何も言わずに側で見守ってくれていた、彼女を大事にしたかったからです。

バンドをする人生よりも、彼女を守れるだけの時間とお金を得られる人生を選びたかった。



【東京生活最終期】アルバイトと弾き語り活動


バンドを辞めて結婚してからは、とにかくアルバイトしまくって稼ぎました。
音楽は辞めずに弾き語りのライブ、作品を作って活動を本格的に開始。


弾き語りであれば、音楽でも稼げるようになりました
バンドの場合はメンバーでギャラを分けないといけない。
しかし微々たるギャラは経費でほとんど吹っ飛ぶかマイナスになります。


弾き語りの場合は、ギャラや物販の売り上げが直に返ってきます。
自分でレコーディングするスキルもあるので、経費はほとんどかかりません。

現在も大事な収入源です。

【副業を始める】きっかけは元バンドメンバーでした


2016年1月に元バンドメンバーから連絡がきました。

バンドを解散して2年間、一切連絡を取っていませんでした


当時、連絡をくれた彼はIT関係の仕事をしていて僕に様々なネットを使ったお金の稼ぎ方を教えてくれました。


高校からの付き合い。
利害関係なく色々なアドバイスを与えてくれました。

それをきっかけにせどり(カメラ転売)を始めた形です。
今ではそれによって勤めなくても生活ができるようになりました

きっかけをくれた彼には本当に感謝しています。

カメラ転売についての記事を多数執筆しています。
参考にしてもらえると嬉しく思います。

【副業】カメラ転売の始め方【必要なモノもお伝えします。】
【せどり】カメラ転売は高金利の貯金です。【仕入れがうまくいかない原因を解消】


その他の記事はコチラ



電子書籍(カメラ転売教材)も作成しました。⬇︎

[副業]カメラ転売で月30万円稼ぐ方法

【地元を拠点に】まだまだ何も諦めていません


2017年3月に息子が生まれました。

嫁と話し合って、田舎で育てようということで2018年から、地元の三重に移り生活を始めました。

転機
仕事もゼロになって、改めてこれからの人生を考える時間ができました。

できるだけ家族と居たいし、やっぱり自分のためにも命を使いたい。


純粋にそう思った僕はこれまでの2年間、小遣い稼ぎ程度に取り組んできたカメラ転売で本気で稼いでみようと行動しました。


「これを成功させなきゃ、俺の人生は終わる。」
それくらいの気持ちで自分のケツを叩きつつ、頑張りました。

思いのほか、4月頃には軌道に乗り、現在も継続中です。



地元に帰り、一度まっさらな気持ちで物事を考えられて正解でした
環境を変えることは本当に大事。


これからも自分のやりたい事で結果を出しつつ、生きていこうと思います。


【失敗から学ぶ】これからは死ぬまで成長


ざっくりと自己紹介をさせてもらいました。
長文すいません。そろそろ終わりますね。

読んでもらって分かる通り20代は負け続けた10年間でした。
しかし、そのおかげでこれからの未来は明るいです。

過去を猛省し、常に新しいことに取り組み行動あるのみだと、現在は強く思っています。


重要
たとえ上手くいかない事が続いても、腐ってる時間なんてもう無い。
人生はあっという間。

一生勉強です。


そろそろ終わりにしますね。
読んでくれてありがとうございます。


このブログでは、自分の持っているスキルや思考の全部をまとめていこうと考えています。


引き続きお付き合い頂けたら嬉しいです。